日本の学生と外国の学生の違いについて考えてみました。
2022/12/13
こんにちは、今日はとてもいい天気です。
ちょっと核心をついたお話になるかと思います。みなさんも一度よく考えてください。
今日は、自分なりに経験したことを踏まえて日本と外国(自分の場合は豪州ですが)の学生たちにおける大きな違いについて考えてみたいと思います。
一番大きな違いはおそらく大学という教育機関の存在価値だと思います。
結論から述べます。
日本には、有名大学にさえ入ることができれば、将来は安泰だという腐った精神がありますね。
豪州の学生たちは違います。
将来自分はこんな仕事がしたい。だからこの大学に入らないといけない。という精神です。
つまり、豪州の学生たちにとっての大学はただの通過点、日本の学生たちにとっての大学はゴールなんです。もっというと、豪州の学生たちにとっては中学も高校も通過点にすぎませんが、中学・高校の内申点的なものが大学入学時にひびいてきます。なので、中学生の時には将来を見据えて学習していかなければいけません。しかし、日本は違います。この理由のひとつとして挙げられるのは。高度成長期真っ只中の日本では、ベビーブームが起こり、それと共にお金稼ぎをしたい大人たちがこぞって私立大学を作り始めました。政府もこれを応援しました。なぜならすさまじいほどの裏金が入ってきたからです。学校を作るには国なり、市町村からの承諾をもらわないといけません。ですから建設する側はここぞと大量のお金をまきちらしました。。当時日本はありえないバブルでしたから、そんなお金は紙切れみたいなものでしたし。
結果として、日本では特に夢を持たずにいても、なんとなく大学に入学できて、なんとなく仕事が手にはいりました。これが現在まで引きつがれ、結果、あの日本最高の〇〇大学ですら。発展途上国の国立大学にまで世界ランキングで劣るようなことになりました。
ゆとり教育ってなんなんでしょうか?子供のころに努力しなきゃ大人になって努力できるはずはありません。しかもゆとり教育って本来子供たちにゆとりをもってしっかり勉強してもらうはずの制度がいまや先生たちのゆとり教育になってしまっています。
学校の宿題もとてもお粗末なものです。宮城県は全国学力テストでは毎年最低レベルなのがなんとなく理解できます。
この子供たちの学力低下を打開するには何が必要でしょうね?
自分の考えとしては、まず、大学の存在価値を高めること。つまり全国の大学数を今の五分の一まで減らすことです。自分の夢が大学入学と直結すれば、おそらく子供たちの意識も変わってきます。これがまず第一歩だと思いますが、みなさんはどんな考えをお持ちでしょうか?という本日の社長のつぶやきでした。 あ、もちろん大学に入ることがすべてとは言ってません。大学なんて入らなくても夢を持つことはとても大事なことだと思います。